古代歴史ロマンと今日のバラ

前から気になっていた 『東山道武蔵路』 の遺跡を見てきました。


現在の国分寺市の旧国鉄中央鉄道学園跡地 (西国分寺駅から南東方向へ徒歩10分) にその遺跡が


発見・保存されていますが、古代の道路遺跡がこれ程きれいな形で出現したことは、驚くべきこと


なんだそうです。(1995年(平成7年)発掘、遺跡は平面保存)


これは古代の官道の一つで、大化の改新以降の律令制のなかで設けられた道ですが、


都(藤原宮、平城宮等)から山伝いに続く道で、近江・美濃・信濃國から碓氷峠を越えて上野國 ・下野國を


経て陸奥・出羽國へ通じるく 東山道の支線に当たるものです。


解説パネルによると…



            

国の支配体制を全国におよぼすため、都周辺に「五畿」、その他の地域には


 東海・東山・北陸・南海・山陽・山陰・西海道


の七道を設けて、『五畿七道』という行政区分を施行した。七道は地方の領域を示す


とともに都から各国府へ向かう幹線道路(官道)の名称でもあった。

(遺跡解説のパネルより要約)

            



つまり東京都・埼玉県・神奈川県の一部を包括する武蔵國は最初東山道諸国の行政区分に


入っていました。


武蔵国府が今の府中市にあり東山道の本線からかなり離れていたため、そこへ至るには


支線が必要だった訳です。


その後、都から武蔵国府へ至るには山側の道(東山道)を遠回りするのは不便なことから行政区分が


相模諸国を経由する東海道諸国に配属替えとなり、『東山道武蔵路』 は格下げとなりやがて


鎌倉街道が出来る頃には廃れたのだそうです。


何がスゴイかというと・・・


初期の頃の道幅はなんと12メートル、両側に側溝が掘られ、目的地を最短で結ぶ直線道路で


あったことです。


これが現代のリニア新幹線の発想とも一致するのは驚きです。


この 『東山道武蔵路』 は立派な官道として整備されていたようで、その遺構 (レプリカ) が一部


見られるようになっています。

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   発掘当時と現在の様子 (解説パネルより)                               濃いグレーの部分が『東山道武蔵路』  


保存道の黄色い断続的なラインは側溝跡を示すものです。(写真右)


現在の道がカーブしているところを恋ヶ窪方面へ直線で横切っているのが認められます。


この辺りは国分寺崖線があり、崖を切り取って傾斜面を作って道をつないだことも分かって


いるそうです。


また少し南下した所に武蔵国分僧寺と国分尼寺の遺跡がありますが、この『東山道武蔵路』を東西に挟んだ


形になると推定されています。


下の写真は遺構の一部 (レプリカ) を嵩上げして展示したものです。


ここでは当時の道路建築工法が見られるようになっています。

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大和朝廷の国家統一の一端を見たのかと思うとなんだか歴史のロマンを


感じます。


            


今日の庭とバラの様子…


シャルロット(ER)淡いクリーム色のコロンとしたカップ咲き


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ラ・パリジェンヌ(FR)

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今年の春にやってきたスヴニール・ドュ・ドクトゥール・ジェメイン(OR)…デビューしました。


色はウィリアムシェークスピア2000とそっくりのマゼンタ色…花型は素朴そのもの

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アイスバーグ(Fl)が満開…今年は昨年以上に花数が多くフェンスの外側へ大きくあふれ出て


しまいました。きっと人や車の通行の妨げになっていると思うのですが、花が終わるまで


ちょっと勘弁してください~と心で思っています。

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左の花は名前を忘れてしまいましたが、真ん中の黒いオヘソと白い花弁の


コントラストが可愛いです。


右側はクイーンオヴナイトが終わってジギタリスとブルーサルビアの夏花壇に…


奥の方でセントーレアブラックボールがワサワサ茂って花数が多くなってきました。


画像画像




                                                       






それでは今日はこれにて

おしまい



追記:名前を忘れてしまった花の名前がわかりました。(5月24日追記)

     オーニソガラム・アラビカムです。

     



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この記事へのコメント

  • ポン太

    大化の改新後の律令国家が五畿七道という行政区分、官道作りをしたということは教科書でかつて習いましたが、そのうちの東山道の迂回路の遺跡が発掘、調査、レプリカの展示がなされているのですね。道幅が12メートル、両側に側溝が作られ、目的地までは直線の最短距離、本当にすごいですね。
    藤原宮跡に行くといつも発掘調査がなされていますが、東山道武蔵路を知るだけでも大和朝廷の統一の様子がよくわかりますね。

    バラの花、本当にすばらしいです。お世話も大変だったことと思います。
    2014年05月20日 22:31
  • デミ

    こんばんは。
    今日は太古の遺跡にちなんだ話ですね
    歴史は好きですので興味があります
    大和朝廷の東征の足跡が間近に見れたのですね ロマンですね
    ワクワクしてきますね そう言えば、TVで紹介してるのを見た気がします
    名前を忘れた花の名前が気になります 他のブログでも名前が解りませんでしたぁ~
    今年もお庭の薔薇は元気いっぱいですね ナイス!…☆
    2014年05月21日 00:30
  • yasuhiko

    復元された東山道武蔵路。
    私も以前、国分寺遺跡を訪ねた時に、
    少し足を延ばして見学した事があります。
    一枚目の写真、人が小さく写って、
    12m幅の道路の規模がよく分っていいですね。
    こういう写真が撮れればよかったなあと思いました。
    この地域は、ごくごく狭い範囲に、
    東山道武蔵路、鎌倉街道上道、JR武蔵野線、府中街道が
    南北に走っていて、古代から現代まで
    変わらない交通の要衝だった事が分りますね。
    2014年05月21日 12:15
  • siron

    大化の改新以降ですか?
    そんな大昔に、こんな立派な広い道を
    全国に伸ばしていたんですね。びっくりしました。
    今のようにブルトーザーも何もない時代ですものね。
    すべて人手で作ったのですよね。
    古代って想像つかないぐらいの昔に思っていましたが、
    すごく身近に感じられました。
    2014年05月22日 14:49
  • うずら

    古代の人々の技術には驚かされます。建築でも土木でも現代人が参考にするような事をすでにやっているんですものね。
    大和朝廷の頃は府中や国分寺が武蔵国の中心だったことを想像するとワクワクします。大國魂神社から広い一本道が通っていて国分寺が見えたのかも知れませんね(*^_^*)
    2014年05月22日 16:44
  • korochan

    ★ポン太さん

    大和朝廷時代でいえばポン太さんの住まわれている所が都になるわけですよね~。
    そこからはるばる東山道を通って朝廷の役人が馬を乗り継いで武蔵国までやって来たというのですから歴史のロマンを感じます。この頃にようやく日本も国家として統一されたと思うと、『五畿七道』は重要な役割を果たしていたんですね。
    ポン太さんの身近なところにはそんな時代の遺跡が一杯残っているんですね~。
    コメント有難うございました。



    2014年05月22日 17:47
  • korochan

    ★デミさん

    そうなんです。以前テレビで紹介していたのをちょっと見かけたのですが、十分理解できていなくて消化不良を起こしそうだったので、実際に行って見てきました。
    東山道の支線でありながら立派な直線道路をあの時代に作ったのかと思うと、大和朝廷の国家統一に並々ならぬものを感じます。実際に見てよく理解できましたので嬉しいです。
    コメント有難うございました。
    2014年05月22日 17:54
  • korochan

    ★yasuhikoさん

    さすがyasuhikoさん、この辺りは既に探索済みでしたね。
    実際に行ってみてこの『東山道武蔵路』がどんなものであったかがよく解りました。
    以前テレビで紹介していたのをちらっと見た時は十分に理解できなかったのですが、実際にこの辺りの国分寺遺跡や府中へつながる道などを合わせて考えるとかなり昔から交通の要衝でもあり、より政治に近い舞台だったことがわかりますね。
    コメント有難うございました。
    2014年05月22日 18:06
  • korochan

    ★sironさん

    道路の道幅といい側溝を設けたり、直線道路にするという発想は現代にも通じるものと思うと凄いな~と思ってしまいます。確かに現代のような道具や機械はなかったでしょうから人手で行ったと推定されます。それなりに道路の建築工法はあったようですが、国家統一に並々ならぬものを感じますね。
    コメント有難うございました。
    2014年05月22日 18:16
  • korochan

    ★うずらさん

    古代にもすでに近代的な考えを持つ人々がいたことは驚きですね。
    国分寺崖線などの難所を削って傾斜面をつくり直線で結ぶ道路を作ったなんて…
    国分寺や府中は当時、武蔵國の中心地だったなんてほんとにワクワクしますよね。
    おっしゃるとおり府中の大国魂神社までこの『東山道武蔵路』は伸びていたんですね~。この一画に都立武蔵国分寺公園がありコギさんを遊ばせられる素敵な緑地がありますよ。
    コメント有難うございました。
    2014年05月22日 18:32